About 關於點石齋
點石齋的歷史
自古以來璽印就是華人的重要工具,帝王侯相以它來表彰自己的身分地位,升斗百姓以它來做為信用工具,在明清之前只有金、銀、玉、銅可作為高級印材,但需有專門知識的人來製作,因此印章非一般人可得。直至明清之後,發現福建出產之壽山時起,興起了文人墨客自行雕琢屬於自己的印章風潮。一顆平凡的壽山石材如經過一番細心巧妙的雕刻,便能成為一枚價值非凡的藝術品,如同頑石點頭而點石成金了。
今年已經高齡86歲的張庭朝老先生,從小家境貧困15歲便離家求生,拜師學藝立志得一技之長,隻身來到福州市茫茫人海,飄若浮萍一般,幸得一位專業的篆刻家陳依其先生的收容調教,而陳依其先生也可說是日後很有名氣專門手工雕刻印章專門店「點石齋圖章店」的始祖了。
張庭朝先生19歲時即學得陳依其先生之獨到手藝,並加以發揮所學,學滿出師之後便遠渡來台,首先落腳於大稻埕永樂市場的一隅,剛開始是由一個小攤桌幫人刻印,因為人誠懇厚實,收價平實低廉,漸有顧客。但永樂市場人聲吵雜不是長期發展之地,遂經尋覓,幸得找到中華商場的一處店面,不再淋雨受風,開始有了專門刻印的點石齋圖章店。
積聚了一段時日,業務蒸蒸日上,原有小店面已難以應付日漸增加之營運,再度搬遷到當時最繁華熱鬧的衡陽路,但卻在營運最鼎盛的1995年發生了一場大火,幾乎將其一生辛苦開創的事業毀於一炬。
如今承傳衣缽的第二代傳人張渭隆繼續在沅陵街1-1號為舊雨新知、玩石之士繼續服務,舉凡書法、繪畫、開運印鑑或合婚落款、趣味藏書等,各式各樣應有盡有琳瑯滿目。
昔から璽印(印鑑)は中国人の大切な道具で、皇帝諸侯大臣などが自分の身分地位を表わし、一般の人々はこれを信用の道具とし、明、清代以前には金、銀、玉、銅などの高級印材だけを用い、一般の人々が持つものではなかった。明、清代以後は、福建産の寿山石が発見されてから、文人墨客がこれに篆刻して自分の印鑑とする風潮が興った。平凡な一つの寿山石に注意深く巧みな篆刻が施されて、非凡な価値のある芸術品になるというのは、硬い石が金に変わったようなものです。
今年86歳の高齢の張庭朝氏は、貧しい家庭で育ち、15歳で技芸を身につけようと志を立てて家を出て、広い福州市の人波の中で浮草のように彷徨ったが、幸にも専門の篆刻家である陳依其師の弟子として収容された。陳依其師は後に非常に有名な手工芸の印鑑篆刻専門店となった「點石齋圖章店」の元祖と言えます。
張庭朝氏は19歳の時に陳依其師から独自の技術を学び、それで学んだことを発揮するために、年季が明けてから来台し、まず大稲埕の永楽市場の一隅で、始めは小さな台を置いて客の印章を彫っていたが、誠実で実直な人柄で、値段も安くて手ごろだったので、次第に客が増えた。しかし永楽市場は騒々しくて長期発展の地ではなく、良い場所を物色していたが、幸に中華商場に店を見つけ、それからは雨に濡れ風に曝されることのない、篆刻専門の點石齋圖章店が始まりました。
歳月を積み重ね、仕事は次第に多くなり、元の小さな店では日増しに増えてゆく仕事に対応できなくなり、当時一番の繁華街だった衡陽路へ引越したが、商売が最も繁盛していた1995年に大火事が発生して、苦労して築いた事業もほとんど水泡に帰しました。
今は衣鉢を継いだ二代目の張渭隆氏が沅凌街1-1号で、多くの昔からのお客様や、弄石家たちへのサービスを続け、書、絵画、開運印鑑または結婚証明の落款、趣味の蔵書など、ありとあらゆるものが揃っています。